深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

「傷つく」「傷つける」の意味するもの

「(心が)傷つく」とか「(心を)傷つける」とかいう言い方は、ごく一般的、日常的に使われているけれど、どうもこの言葉が気にかかる。
どうも、「傷つく」とか「傷つける」とかいう言葉は、随分と大仰に感じるのだ。
精神的外傷は解る。だが、普段よく使われる「傷つく」「傷つける」は、そこまで深く大きなものではないだろう。自分の感覚では、この言葉がぴったりくる心的な状況がなかなかない。
大抵の場合、「ショックを受ける」あるいは「へこむ」「落ち込む」「いやな思いをする」など。もうちょっと別の概念もあるだろうが、「傷つく」「傷つける」は、基本的に他の多様な表現で置き換えられるような気がする。


自分が「傷つく」「傷つける」を使わないのは、なんだか、自分や他人の心的ステータスをそういう曖昧な表現でごまかしてしまってる気がしてしまうからだ。
たしかに「傷つく」「傷つける」は便利な言葉なんだろうと思う。特に、「傷つく」側が被害者、「傷つける」側が加害者という概念を同時に含む便利さがある。「私は傷ついた」と言うとき、同時に「私は傷つけられた」という意味合いも含む場合が多々ある。


傷、という言葉のもつイメージもある。
「玉に傷」「傷ものにされる」といった言い回しの表すように、傷という言葉は、もともと完全あるいは健康であったものを害する、という意味合いによく使われる。
「傷つく」「傷つける」は、実は単純に心的ステータスを表しているのではなく、そういう心的状況に至るまでの事情、関係性を表す言葉なのだろう。


私は、誰かの言ったことでへこんだり落ち込んだりショックを受けたりはするが、たぶん傷つくことはない。