深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

「萌え」という言葉のもつ強い他者否定性

「萌え」という言葉は、かなり他者を否定する響きの強い言葉だ。
「好き」とか「気に入っている」という意味合いに類する言葉だから、そういう否定性が強いことに気がつきにくいけれど、実は相当きつい言葉だ。
生身の人間に向かって「○○さん萌え」と言ったとする。
「萌え」という言葉を使った時点で、言った側は、言われた側を表層的にパッケージングしている。言い換えれば、言われた「○○さん」を言った側の都合のよいように解釈し、都合のよい姿形や性格だけをピックアップして、それを再構成し、その再構成した存在を気に入った、と言っていることとほぼ同様である。
なぜ「好き」ではなく「萌え」なのか、を考えれば分かることである。


二次元的なキャラクターや、表層的な属性そのものを売り物にしているタレントやモデルのような人々は、もともと再構成された状態で存在しているものである。だから「萌え」という言葉はよい評価としてしっくりくる。
しかし、生身の人間、特に目の前にいるその人自身に対して「萌え」と言うことは、上記のような理由で、言った側の再構成した「○○さん」を非常に肯定的に評価することの裏返しとして、生身の「○○さん」その人を強く否定することになるのである。
「○○さん萌え」と言った時点で、生身の○○さんとコミュニケーションする気はないよ、という意思表示になっている場合もある。言った側は意識的にそうしているわけではなくても。


言った側は決してそういうつもりではなくても、言われた側がその否定的なニュアンスを強く感じることは十分にあるし、そう感じることは自然なことでもある。
「キモイ」に通ずるような個人差の大きな感覚ではあるが、たしかにある。