深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

あのころのネクラは

ネットで掲示板を読んだりブログを読んだり、匿名ダイアリーを読んだりしていると、コミュニケーションが苦手という人、はてな的な言葉でいうと「非コミュ」というらしいが、そういう人がいろいろと自分のつらさや思うところについて語っているのをちょくちょく見かける。
非コミュな人は、感覚が繊細だったり鋭かったり、独りでつらつらと自分の頭の中で考えを深めるタイプの人が多かったりするのか、けっこう記事としては興味深いものも多いような気がする。


馴れ合い的だったり浅薄だったりする、いわばつきあい技術的なコミュニケーションが苦手な人はずっと昔からけっこういたようには思う。
私の若いころにはネクラ(根暗)・ネアカ(根明)という言葉が流行っていた。今の学生くらいの若い人には何のことやらさっぱり、な言葉かもしれない。
当時、ネクラという言葉はかなりネガティブなニュアンスが強かった。だいたい「暗い」という言葉自体が、あからさまにネガティブな響きをもっている。
ネクラは、あまり人と馴れ合わなかったりノリが悪かったり、いわゆるつきあいが悪い人に対して、はっきりと悪い意味合いで、揶揄したり非難したりする言葉として使われていた。いじめの言葉にもなっていた。*1


そんなことを思い出すと、今の非コミュの人たちは、その頃よりはいろいろな意味で、境遇というか環境はまだしもいいのかもなぁ、と想像したりする。
コミュニケーションが苦手と言いながらも、ネット上で「苦手なんだよね」と話す場所があり、聞いてくれる人がいて、「自分もそうなんだよね(「お前は俺か」「俺がこんなところにいる」など)」と同意してくれる人がいる。
あの頃のネクラ、ネットなど影も形もなかった時代にコミュニケーションが苦手だった人は、どうしていたのだろう。今、そういう人は私と同じか、やや上の世代になるはずなのだが、今はどんなふうに暮らしているのだろう。
余計なお世話ってやつなのだろうが、ふとそう思った。

*1:もちろん、自分自身のことを「実はネクラなんだよね」と言う使い方もあった。この場合は、自嘲する言葉というよりも、本当はおとなしくて思慮深いとこもあるよ、的なややポジティブな使い方になることもある。