つまりmixiには怒ったことは書かない
昨日書いた記事に思わぬ反響があって、驚くやら嬉しいやら。*1ブックマークコメントなどでコメントいただいた方、ただ読んでいただいた方、どうもありがとうございました。
あの記事は正に勢いだけで捨てるように書いたのですが、これだけ読んでいただいて、TBまでいただいたとなると、少し補足したいこともあるので、追記がわりに新たな記事を書きます。
TBいただいたid:yas-toroさんのhttp://d.hatena.ne.jp/yas-toro/20070112/p3からの引用を交えつつ。
逆に嬉しい話は、書く側の私は「嬉しかったー!」って書いてうきうきして、読む側は気楽に「おめでとー」で済むので、お互い楽かもしれない(笑)。
嬉しい話は、書く側も読む側も実は気楽だし、互いにネガティブな感覚を持つことも少ない(嫉妬や羨望はありえるが)。だからこそ、ブログでは書きません。*2
ブログが自分にとってどういう存在か、によってこの辺りは異なると思うのですが、私にとってはブログとは意見表明の場という位置づけです。日記とどこが違うかというと、特定の読み手を想定しないところ。虚空に向かってしゃべっているのに近い。そこに多数の人がいるのはもちろん分かっているが、それは特徴を持った個人個人ではなく、群衆としてしか意識されないものです。
嬉しい話は自分にとってはとっておきの話なわけで、虚空に叫ぶにはもったいなすぎる。というか、虚空へ叫んでしまったあとシーンとしてると、寂しいうえに、自分の嬉しさ喜びまでが虚空に吸い取られてしまったかのような気持ちになるし。
怒りは、葦原に掘った穴に叫び入れるには格好の題材です。あとで葦にはやし立てられるのも一興。大抵はそのまま不毛の地面のままですが。
つまり、
でも、怒ってる話を分かって貰っても解決しないから、単純にわめいてるだけだったりする、私の場合(笑)。
とほとんど同じです。かなり近いです。おそらく。
そのことと鏡の表裏のような関係にあるのが、怒りはmixi日記などの身内向け、特定の顔の見える相手向けに書くことが(私の場合は)できない、ということ。
ここでいう怒りは、シンプルな意味での怒りの感情とともに、社会的な怒りや不満をも含めているのですが、こういったものは知り合い相手には書きにくいものです。親しくしている知り合いだからといって、思想信条が一致しているとは限らないし、かといって自身の思想信条を押し通して関係を悪くする意義も全くない。
シンプルな怒りのように見えて、個々に微妙な判断を要求する問題も多数あります。例えば、喫煙だのマナーだのが関わる話は典型的。
ブログでそういう話を出して紛糾する可能性も当然ありますが、余計な関係がないぶん正面からの議論が可能だし、最後に平行線で終わってもそれはそれでよし、意見交換をしたこと自体が有意義だと思えます。
完全に見ず知らずだったら何も言わない事の方が多いけれど、何度か見た事があるブログだったら、心の中ぐらいなら言うかも。
自分の場合、何度が見たことがあるくらいだとまだ赤の他人レベルですが、定期的に読むようになったうちの一部は「おめでとう」レベルかもしれない。
自分は世間の人より冷たい人間かなぁ、というか赤の他人レベルより近いと認識する範囲が狭いのかなぁと漠然と疑っていたけど、やっぱりそうかもしれない。たぶんそうです。