深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

「理科は面白い」ことを伝えられないのは

今日のニュースでこういうのがあった。
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060904k0000m040067000c.html

理科離れについて長らく取り沙汰されているが、私自身は、子どもが理科離れするのも当たり前だと思っている。
なぜなら、教えている小学校教員の多くが、「理科はつまらない」「理科はよくわからない」「理科は苦手」だと思っているから。
……とそう思っていたのだが、実際そうらしい。この記事の中にこう書いてある。

 小学校の教員は文系、理系を問わず各教科を教えるため、理科が得意でない教員もおり、現場では英語の外国人指導助手に準じた「助手」の導入を望む声もあった。

小学校教諭の免許は、通常、必須単位取得の面などで、教育学部の小学校教諭養成課程など、それ専門の学校にいかないと取得困難である。高校教諭などならば、理学部や農学部、工学部(もちろん文系学部も)など、その他の学部に進んだのち、教職の必須単位を取得して免許をとることも可能だが、小学校はなかなかそうはできない。
したがって、だいたい、高校卒業時に「小学校の先生になりたい」と思う人がそちらに進むことになるが、このように思う人の中に、いわゆる理系が何割いるかと思うと、かなり悲観的になる。実際、自分が高校の時に、理系クラスにいた中で、教育学部に進学した子はいなかったと記憶する。「理系に進もう」と考える子にとって、教育学部というのは、かなり遠い存在なのである。相当、そのつもりで「私は理科や数学の楽しさを小さい子どもたちに教えたい!」と思わない限り、そういう選択肢が頭に出てこないのである。
そして、高校卒業時点で、そこまではっきりと自分の将来を描く子は、大変少ない。漠然と「小学校の先生になりたいなぁ」と思う子はいるが、そういう子はたいてい文系を選択していて、自分でも文系が得意だと思っているのである。


小学校教諭に求められているものが多すぎると思う。
教科を教えることも大事だが、子どもたちの人生最初の義務教育として、生活するうえで大事なこと、一般的な常識やルール・モラルとされること、集団生活に慣れること、その他もろもろを教えることも重要である。
が、その全てをやろうとすれば、1人の担任だけではどう考えてもオーバーワークだと思うのだ。そこに加えて、教科を教え、自分の苦手な教科も教えなくちゃならないとなったら、それは十分にその教科の良さ、楽しさを教えることができるわけがない。苦手なことをやろうとしたら、それだけ労力もストレスもかかる。自分に余裕がなければ難しい。


だから、このニュースのように、別に理科をサポートしてくれる人、理科が好きで理科を十分に(少なくとも小学生レベルでは)理解している人を登用するのはよいことだとは思う。
だが、個人的には、助手レベルの話ではなく、小学校も中学以上と同じように、教科担当を分けるべきだと思っている。完璧に分けないにしても、算数・理科とその他の教科くらいは分けるべきじゃないのか。できれば体育、図工あたりも分けてほしい。1年生から分けろとは言わないが、3年生くらいからは分けたほうがいい。
どうせ英語を導入したら、英語を教えられない先生がいる。今現役の先生で英語教育について教職の必須課程で習った人は皆無で、つまり子どもの英語教育についてはどう考えても素人、そこらの親と同レベル、ネイティブじゃないから英会話教室の素人外国人よりもレベルが低いのに、「先生として」教えねばならない。そんな気の毒な話があるか。
この機会に全部分けてしまえばいいのに、と思うが、そういう人はあまりいないのだろうか。