深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

10年余がたち、変わったこと、変わらなかったこと

いろいろな方に広く読んでいただいた前ダイアリーの最初の記事が2006年8月、最後の更新が2009年5月。

思い立って新たにブログを作ったのが2017年。

1968年生まれの私は、最初が37歳。最後が40歳。長女が5歳〜8最、次女が2歳〜5歳ごろ。10年たっていまや彼女らも見違えるように成長し、対等にものを言える歳となった。

では私はどうだろうか?

 

この歳ともなると、10年で失うもの、衰えるものも当然ありました。

健康は損なった。今はいくつかの薬を定期的に内服している。ガン検診に引っかかったのも何度か。幸い、二次検診では無罪放免となったのだけど。

一方で、内服を始めたら体のだるさや過重体重が改善し、体が以前よりよく動くようになったってこともあり、必ずしも健康を損なうことが悪いことでもないらしい。

 

10年前、出会った人たちの多くは、今はもう交流がなく、どこでどうしているかも分からない。主に娘たちのPTAや習い事でつながりをもった人たちだった。

今だから正直に言うが、世間話以上のなんの有意義な話もできない人たちしかいなかった。他の誰であっても代替可能な、それこそAIで十分でしょ、というレベルの人たちだった。

いや、もちろん今なら分かる。自分もまたその人たちにとってはそうだったのだと。「中身のない人」が存在するのではなく、そのときの相手や状況によって、それぞれに「中身」をどこまで表出するかコントロールしているだけなのだって。自分自身もその一人であり、先方から見れば、私こそが「中身がなくて話してつまらない人」だったのだと。

これは、もっと分析したい話だから、また項を変えて書いてみるかな。

 

一番大きかったのは、この10年で、仕事に戻っていたこと、だろう。

ダイアリーの更新が途切れたころ、恩師より仕事の話を頂いていた。週2回、半日パートの仕事だ。

どうしても人手がなく、まだ子供が小さいのを承知で、短時間でもやってもらえないか、とのことだった。

直接の外来診察には携わらず、検査部門のみでの仕事。長く現場から完全に遠ざかっていた自分にとって、時間も心理も負担が少なく、これならなんとかできるかも、という思いになった。

こうして、全く現場から離れて、子育てと思索に満たされた時間とお別れした。そうすると、仕事と子供のため、やはりダイアリーを書いてる余裕、いやダイアリーのネタを思い考える余裕はなく、更新は途絶え……。

この先の話は長くなるから、これも別の項としよう。

 

言えることは、更新が途絶えたって、その人が考え続けていることには変わりなかった、ってこと。考え、興味をもつ対象は変わるかもしれないけど。