深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

「なんで?」

どうしても、現象に理屈づけたい癖がある。

ある現象があると、「それはなぜそうなったのか?」と考えて、理由をくっつけてしまおうとする。

有用ではあるけど、悪い癖だ。

世の中には、どうしてそうなったのか説明のつけられないこともたくさんあるんだってことを飲み込めるようになったのは、わりと最近になってからのこと。少なくとも40代に入ってからのこと。

 

科学的にものを考えようとすれば、「なんで?」は重要。「なんで?」と考えてはじめて話が始まる、くらいに重要。

けれど、別に科学的に考える必要のないこととか、科学的に考えてしまうと却って話がややこしくなってしまうことも、けっこうたくさんあるんだね。

例えばヒトの気持ちのこととか。

 

自分の中で、すっぱりと割り切って言葉にできないような感情がうごめくとき、「この気持ちはなんだろう?」とか「なんでこんな気持ちになったんだろう?」とか考えて、自分なりに理屈をつけてすっきりしようとしてしまう。

 

けれど、ああ、こういう感情は感情として、すっきりしなくてもいいんじゃないか、もやもやよく分からないままに、この気持ちどう表現したらいいんだろうね名前がつけられないね、あれとも違うしこれともちょっと違うんだよね、とくよくよしながら、まあでももやもやのまま抱えてて困ることもないし、自分さえ飲み込んでしまえるならそれでいいんじゃない?と割り切れるようになったのは、成長なんだろうなぁ、成長なのかなあ。

 

理屈がついて、名前がついて、ああこれは○○だね、ってなるほうが、なんとなく次の段階に行けるような気がする。そのほうが自分は楽になれる。

けど、自分が楽になろうとさえ思わなければ、別にそのままなんの理屈もつけないままでいいんだよね。