深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

天気予報は

昔は、「天気予報」といえば「当たらない」の代名詞だった。
なんとなく予測がはずれたり、思ったことと違うことが起こったりしても、「まあ天気予報みたいなもんだしな」と自分を納得させたり。
天気予報ですらよくはずれるんだし、という感じだったかな。
今では「天気予報」は基本的には当たるもの、という感覚だ。それだけ精度があがっていて、多くの情報と分析によって細かく的確な予測ができるようになったのに加えて、降水確率というやつが「当たり」を増やした。0%と100%以外なら、降っても降らなくても「当たり」だから。
いずれにしろ、今の「天気予報」はかなり信頼できるやつだ。
私のほうは、相変わらず当たらないことだらけだけれど。人間用アメダスとか人間観測衛星ひまわりとかあれば当たるんかな。