深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

ブログ記事とコメントの一例

ブログの記事に猫と子どもが一緒に遊んでいる写真を載せて「ねぇ、かわいいでしょう」と一言書いたとする。
これに反応して、「自分もかわいいと感じた」という主旨のコメントを書くとする。
いろいろな書き方はあるが、骨子としてはこんな感じかな。

  1. 「うわあ、ほんとかわいいねぇ」
  2. 「うん、この猫(子ども)かわいいね」
  3. 「かわいいって、猫のほう? 子どものほう?」

1.は、ディスコミュニケーションがある可能性がある。記事の筆者が何をかわいいと感じたのか、記事だけからでは分からない。だが、何かをかわいいと感じて記事を書いたことは確かなのだから、筆者の内心には「○○がかわいい」の「○○」は明確に存在しているはずだ。しかし、コメントを書く側は、その○○がいったい何なのか、猫なのか子どもなのか、分からずに同意していることになる。そして、筆者の側は、コメントを書いた人が、「○○」が何なのか分からないにも関わらず同意した、という点に気がつかない可能性が高い。ただ「同意された」ということだけを受け取ることにより、コメントを書いた人が自分の内心にあるすべてに同意してくれた、と思い込んでしまう、というわけだ。本当は記事の筆者は猫が、コメントを書いた人は子どもがかわいいと思っていたのかもしれないのに。
2.は比較的妥当な書き方。コメントを書く側は、自分の思ったことをそのまま明確に書いており、筆者のもともとの考えがどうであるかに関わらず、コメントの文章解釈はぶれない。こういう書き方に対しては、筆者も反応しやすい。意見の食い違いがあるかどうか、筆者は読むだけで判断できるからだ。
3.は、ネット上ではなく実際に会って会話をしている時にはよくある反応の仕方で、特に問題もない。しかし、これをネット上で書くのはやや勇気がいる。こういう書き方をしたら、その後の筆者との会話につきあう気がある、という表明にもなるからだ。質問するからには回答を期待しているということになる。また、3.だけを書くと、なぜかぶっきらぼう、あるいは何をつっかかってるんだ、とマイナスイメージで見られる場合がある。それを回避するためには、2.との複合技を使う方法があるが、2.だけのほうが結果的にはスマートに目的(筆者はどちらをかわいいと思っているのかを知る)を達するかもしれない。