深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

年賀状と専業主婦

年賀状の時期なので、自分の住所録を覗いて、整理した。
仕事をやめてから6年半。これまであまり住所録の削除や追加はしてこず、ほとんど訂正ばかりだったけれど、今年は手を入れてみた。といっても、追加する住所はほとんどない。削除するものばかり。
削除するもののほとんどは、仕事の同僚など、仕事と関係する人のものだ。5年もたてば、もう縁のない人なのかどうかはっきりしてくる。直接の上司で特にお世話になった人などは、礼儀の関係もあってこちらからは送り続けているし、当時特に親しくしていて今も年賀状のやりとりしている人もいるけれど、ただ同じ職場で仕事をしただけ、という人はもうなんの関係もなく、今後も関係することはないだろう。と、かなりの住所を削除した。
残ったのは、親族関係と、高校時代の友人ばかりだった。親族はともかく、友人はその中から何人か減った人もいるが、それでも10人以上はリストに残っている。半数以上は今もなにかと連絡をとりあったり、会って遊んだりしている。
しかし、こうして見ると、私の交際関係のいかに小さく狭いことか。
実際には、このリスト以外にも、交際関係のある人は多くいる。例えば、ネット関係の知人らは、住所は知らないがメールなどですぐに連絡がとれる、という人もいるし、実際に住所も知っているけどその住所は夫の住所録に入っている、という人もいる。もともと夫と共通の知人が多いので、そういう人は結婚したときに夫の住所録に統合したのだ。しかし、そういう人たちも、つきあいは長い。結婚前からの知人たちばかりだ。
そういえば、この6年半で、住所を互いに知るほど親しくなった人はほとんどいない。どこに住んでいるのか知っているけれど親しいわけではない、という人はいるけれど(ご近所さんとか)。まあどちみち、ママ友だのご近所さんだのとは、わざわざ年賀状のやりとりをするものではないだろう。直接会ったときにお年始の挨拶をすればすむ。
こうして、出す年賀状の枚数は年々減ってゆく。専業主婦にとって、年賀状はあまり出すものではない。出す先がない。
出す先がないということは、もらうあてもないということだ。


子どものころ、お正月にきた年賀状の束を見ると、ほとんどが父宛てだった。そうでなければ父母の連名だった。
専業主婦の母宛てにくるのは10枚にも満たないくらいだった。そのうち何枚かは、行きつけの洋服屋などの営業の年賀状であった。
当時は、どうして父にはこんなに山ほどくるのに、母にはこないのかな、と漠然と思っているだけだった。母にはそんなに友達がいないのかな、こんだけしか年賀状がこなくて、母は寂しくないのかなあ、なんて思っていた。
今、自分がその立場になってみると、分かる。必要のない年賀状は別に欲しくもないんだな、と。


住所録をダイエットして、すっきりした。
家族共用の住所録に住所が増えることは今後あっても、私の、私のための住所録に住所が増えることは、非常に稀だろう。