深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

探究の方向

ここ2〜3年になって、自分の興味というか探究の方向に波があることに気がついた。
ある時期は、興味が外へ外へ向いて、他人がどんなことを話して/書いているか、他人はどんなことを考えているのか、どのように振る舞っているのか、その振る舞いからはどんな内面が想像されるのか、そんなことを考えるのが面白い。
ところが、しばらくすると、そういったことにはまるっきり興味がなくなって、探究の方向が自分の内へ内へと向かっていく。私は何を考えているのか、私はなぜこのように考えるのか、私はなぜこのように行動するのか。意識的にそう振る舞うならば、なぜその振る舞いを選択するのか。特に意図的でないなら、なぜ自然のそのような行動や思考に向かうのか、その無意識の中での理由はなにか。自分と向き合うことが楽しい。
またしばらくすると、内面への探究への興味が薄れ、外のことに興味が向き、あれこれ余所様のことを読みあさったり聞きあさったりする。
気がつけば、同時に両方を探究することはあまりなく、時期によって集中的にどちらかに強く指向性があるようだ。


で、これまたブログを書くようになって気がついたのだが、外へ探究が向かうときは、あまり自分からは文章を書かない。頭の中で考えはするけれど、表には出さない。というか出しにくい。
一方、内へ探究が進むときは、文章がだらだらだらだらと出てくる。言いたくてしょうがない、とりあえず言っちゃえー、という感じだ。
どうしてそんなふうに違いが出るのか、という理由は、自分では分かっている。