深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

言葉でドルードル

最近、自分の書いているものは、ドルードルっぽい。
ドルードルとは何か、は、はてなキーワードにも登録されているので参考にしていただければ。これだけで分からなければ、Google先生に伺うが吉。→ドルードルの検索結果
頭の中にかなり具体的に想定しているものはあるんだけど、全部は書き出さない。その具体的に想定したものを書きたいのではなく、想定してるものの雰囲気や周辺状況を書きたいから。
筆に絵の具をつけて、だいたいの形をべたっと塗って、まあ描いた私は○○をモデルにして描いてるけど、実際のところ何に見える? みたいな。
もともとはびっちりと言葉を尽くして論文みたいに隙なく書いて、ツッコミどころをできるだけ解消する書き方を好むタイプ。絵で言えば、くっきりと輪郭線を描く感じ。なので、こういう書き方はわりとドキドキする。
「そんなこと書いてないでしょ! ちゃんと読んでよね」という言い訳が許されない書き方だからな。どんな読み方をされて、どんな(内心では的外れな)批判を受けるとしても、そこまで最初から組み込み済みで、全部受容して参考にさせていただく、というスタンス。そりゃドキドキする。
ドルードルに間違った答えはない。何が見えても、そこに何を見いだしても、すべてが正解。