深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

それでも私は産んだ。それはなぜか。

昨日の記事、産みたくない理由なら産んだ人間にでも山ほど挙げられる - 深く考えないで捨てるように書くに関する反響が大きくて、驚いた。
ここのダイアリーの主旨がタイトルどおり「深く考えないで」書くことなので、自分としても、きちんと整理せず、気持ちの赴くままに書いた記事だった。その分、あまりにネガティブに読める記事にもなってしまった。
だから、きちんと書かなければならないと思う。
あんなに産みたくない理由を並べた私は、だが、2人の子を産んだ。できちゃったのではない、自分で産みたくて産んだ。自分で子どもがほしいと思い、産んだ。今も、2人の子を得たことに、後悔はない。子が私たちのもとに来てくれたことに感謝し、彼女らが私の子で本当によかったと思う。


私が産みたいと思った理由はなにか。これが、うまく言葉にできない。
子どもがいれば人生が豊かになる……違う。子どもがいなくても豊かな人生はあり得る。
自分の分身、DNAを残したい……違う。別になにか特別な人間でもない、その他大勢の自分のDNAなんぞ、この代で消失してもまったく構わない。
単純に子ども好きだから……たしかに子どもは好きだが、子ども相手の仕事を選ぶほど好きというわけでもないし。
考えても、考えても、明確に言葉にできる理由に行き当たらない。あえて言うなら、出産してみたいという体験欲、自分の子とか子育てってどんなんだろうという好奇心はあった。逆に言うなら、その程度のものだ。この程度のことが、産むことによって被るデメリットを凌駕するとも思えない。*1
理屈では説明できない、明確な形をとらない、もっと大きな何かがあるような気がする。子どもがいると、なんか、いいよね。漠然とそういう感じなのだ。


あくまで自分の体験からの推察なのだが、やはり人間もひとつの生命、動物として、繁殖本能*2をもっているように思うのだ。自分の感じている、理屈では説明できない「産みたい」気持ちは、そこに根があるような気がする。
だが、人間は、本能以外の部分が大きく発達した生物でもある。さまざまな思想・思考や生育過程、環境、社会的条件に覆われ、本能の顕れ方、顕れる強さは変化する。
「産みたくない」理由とは、この本能を覆い隠すさまざまのことどもで、これを全て引き剥がすことができれば、そこには「産みたい」という自然の本能、感情があるのではないか、という妄想をする。


当たり前だが、本能を隠すものたちを全て引き剥がすということは、現実には無理だ。実際のその人が世に生まれてから育てられて、生きてきて、心に思ったこと、傷ついたこと、その人自身の人格の一部となっていることについては、そこだけを分離することは不可能だ。
だから、絶対に産みたくない、産まない、産めない、そういう人もまた存在する。それは間違いなく認めるべきだ。


それをまず述べたうえで、私は思う。
「産みたくない」「産めない」という気持ちは、本当にそうなのだろうか。
ひとつずつ「産みたくない」「産めない」理由を剥ぎ取りながら、心の奥底を探索すると、一番最後に「産みたい」を発見したりはしないだろうか。
よくある「お金がないから産めない」という話。そういう人のうち、収入が何円あれば産めると思うか、今の収入よりあと何円多ければ産みたいと思えるか、具体的に検討する人はどのくらいいるんだろうか。
そして、お金がないことだけが理由になっている人は果たしてどのくらいいるのか。大抵はいくつかの複合的な理由を抱えていて、もし金銭的な理由が解決しても、即、産めるとはならないのではないだろうか。
まず能動的に「産みたい」を認識しないことには、ではそれを実現するためにどうするのか、どういう解決方法があるか、という思考にはならないのではないかと思う。


「産みたくない」を排除していくのではなく、「産みたい」を喚起するというか、顕在化させるやり方というのも考えてはいるが、それはまた別の話にする。

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d:id:t_yossyさんの下記の記事から、前の記事へのトラックバックをいただいた。

http://d.hatena.ne.jp/t_yossy/20070213/1171338273

今回の記事が、なんらかのお答えになっているといいのですが。

*1:この他に外的要因として、夫が子ども好きで、子どもを望む考えであったこともある。もしも夫が子どもを望まない考えであったら、それに反してでも産むということはしなかっただろう。また、1人ではなく2人なのは、子らに互いにきょうだいがいるといいだろうなぁ、という至極漠然とした理由。(注:消し線部ははてなブックマークコメントのご指摘により消しました。ご指摘くださったid:kanimasterさん、ありがとうございました。夫婦間に子どもを持つかについては夫もまさに当事者であり外的要因とは言えない。)

*2:いわゆる「母性本能」とは全く異なる。