深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

地元の人にとってはどうなんだろ

ふと思ったが、ドラゴンボールって、ハリウッド実写版ができるくらいにはアメリカでは知名度があるってことなのよね。人気もあるってことだよね。→よく知らないので検索してみると、やはりアニメは人気を博していたもよう。
ということは、ハワイ州の人にとっては、アニメのヒーローが、我らが旧ハワイ王国の偉大なる大王の名前を必殺技にして叫んでる、ということになるのかなあ。
実写版では「かぁーめぇーはぁーめぇー波ぁー!」と叫んでるらしいから、アニメでもきっとそう叫んでたんだよねぇ。


なんてことを、「南の島のハメハメハ大王」をひとり歌いながら思ったのだった。

「ほら、あのおじちゃんに怒られちゃうよ」

タイトルは、よく、子ども叱るときにこう言っちゃいけないだろ、と言われる典型例の1つ。おじちゃんでなくても、おばちゃん、お兄さん、お姉さん、だれでもよいのだが。
よその人が叱るって言うんじゃなくてちゃんと親が自分自身で叱れよ、とか、よその人に叱られるからじゃなくて、どうしてそういうことをしたらいけないのか、ちゃんと親が説明しろよ、とか、子どもの躾に関係ない他人を巻き込むなとか、そういう文脈で否定されるものだ。


長らく自分もそう思っていたんだけれど、いざ子どもを叱る立場になってみると、どうしてもこの言い方を使いたくなるときもやっぱりある、ということがしみじみ分かってきた。
小さな乳幼児のうちはともかく、少し大きくなってきて6歳前後になると、叱る内容が複若干複雑になってくる。「危険だからだめ」「汚いからだめ」といった直感的に分かりやすいことだけでなく、「周りに迷惑だからだめ」「他の人が困るからだめ」といった、社会的な理由で叱ったり躾けたりする内容が増えてくる。
ところが、この「他人に迷惑をかける」というのは、まだ理解するのにやや難しい年齢のようで、ようするに社会性の獲得がまだ未熟なので、自分の世界にいない「他人」が自分の行為で「迷惑する」ということがすっと理解できないことがあるのだ。年齢的にまだ抽象的な概念を理解するのに不足がある、ということもある。目の前にいない「他人」が「迷惑する」ということをうまく想像できないのだ。
そこで、具体例として、「○○ちゃん(本人)はそういうことされるといやでしょ?」という言い方を使うのだが、これがまた子どものこととて、「なんで? 私は全然いやだと思わないのに」となってしまうことがある。こうなるとお手上げだ。想像してみろ、と言われても、自分と異なる感じ方をする、しかも具体的な誰かではなく抽象的な「他人」を慮るなんて、このレベルの子どもには無理ってもんだ。


そんなとき、具体的な「目の前の他人」をとりあえず置いてみると、わりと理解してくれたりする。「そこのおじちゃんが、そういうことをするあなたを見て、いやな気持ちがするかもしれないんだよ」。こう言うと、子どもは、あ、そうなのか、と腑に落ちる、らしい。
こっちとしては、その人を悪者にしたいわけでは全くなくて、そのように表現しないと、子どもに「自分のことを、(自分の内的世界には存在しない)赤の他人が実は見ていること」「赤の他人が自分の行為によって不快になること・迷惑すること」「自分の狭い内的世界よりもずっと広い世界・社会が存在していること」をうまく理解させられないからなのだ。


まあ、もう1つは、このくらいの年齢になると、親には叱られ慣れてしまって、叱っても叱っても屁の河童、適当に流すことを覚えてしまっている、ということもあるんだけどね。特に公共の場でのマナー的なものは、子ども自身にとっては、注意を無視しても自分に実害(親から叱られるのは慣れちゃって害にすらならない)がないので、ますます流す。そういうときに、他人からの視線を意識させると、少し冷静になってくれることがある。


自分の場合、このタイトル的な言い方は抵抗はあるんだけど、たまには使ってしまう。
この場を借りて、謝っちゃう。ごめんなさい。


【追記】(2009.3.6)
自分が「おじちゃんに怒られる」パターンを使う場合の自分的ルール。

  • 相手を特定の人物に限らなくてすむ場合は、できるだけ限定を作らない。例えば、「あの人が」ではなく「周りの人が」「近くの人が」という表現にする。ただし、例えばふざけて誰かとぶつかりそうになった、などの場合は、「ぶつかられそうになった人」という限定をする。
  • 単純に「怒られる」という言い方はせず、「怒られるかもしれない」と推測表現にする。
  • 「怒られる」の理由を必ず言う。ただ、マナー関連は理屈ですっきり説明できることだけではないので、「そういうことが嫌いな人も世の中にはいて、そういう人がここにいるかもしれない」という言い方を使う場合はある。
  • これらは、周りの人に聞こえないよう、必ず子どもの耳元で小声で話す。こういう言い方が聞こえて、全く不愉快に感じない人は極めて少ないだろうから。
  • そして、この言い方は普段はできるだけ使わず、他によい方法が見つからない、あるいは他の方法を何度も試して効果が薄かった場合にのみ使う。やはりこれは「悪手」であって、使う時は自分も罪悪感があるというか、よい気持ちはしないからだ。しかし、言うことをきかないからとあきらめて投了(放置)するよりはずっといいと思っている。

水栽培ってどこへいったのかな

子育てしていると、そういや自分の子どものころはあんなのあったなぁ、今はないのかなぁ……と思い出すことがあれこれと出てくる。
今回突然思い出したのは、水栽培。太いとっくりみたいな瓶に水を入れて、その上に球根を置いて花を咲かせる、あれ。
チューリップとか、ヒヤシンスとか、クロッカスとか、あったよなあ。
ヒヤシンスの水栽培セットとか、小学生向けの教材や、学研の科学の付録なんかにあった記憶があるんだけど、今は同じ草花育てセットでも水栽培ではなくて、園芸用の土のついた植木鉢と種のセットである。
室内でさくっと育てるにも、お世話いらず場所とらずで便利だったので、ご家庭にもちょこっとあったりしたような気がするんだけど。
たぶん、ドロドロにならない園芸用の土の開発がすすんで、教材などにもどんどん使えるようになった*1ので、わざわざ水栽培にして、種にくらべると高価な球根などを教材にしなくてもすむようになったし、室内鑑賞用でも品種改良などで、小さな鉢でも長持ちさせられる品種が増えてきた、ということもあるんだろうなあ。と勝手に推測だが。


なんだか急に懐かしくなって、「ヒヤシンス 水栽培 セット」でグーグル先生とお話してみたら、100均で水栽培セットが売っていることもある、ことが判明。
ヒヤシンスってけっこう色も見た目もかわいい花なんですよね。ちょっとずんぐりむっくりなところもかわいい。
水栽培しなくても、土のプランターが我が家にはあるし、春になると学研さんからまた次の教材がやってくる(今年は綿とタマゴナス)ので、まあいらないっちゃいらないんだが。

*1:実際、学研の科学やこどもちゃれんじの教材には、少量の乾燥土がついてきて、水で十分に湿らせるとやわらかくなり、そこに種を蒔くようになっている。さすがにある程度大きくなったら植え替えないと無理だが。

しましまタウン閉店

しましまタウンが全面的に閉店するそうだ。
http://blog.benesse.ne.jp/hiroba/blog/go/shimashima/index.html
しましまタウンとは「こどもちゃれんじ」のしまじろうをメインキャラクターとした室内型の小型テーマパークで、未就学の幼児が対象*1とか、毎日しまじろうのキャラクターショーをやっていて着ぐるみと一緒に写真撮影ができるとか、店内にいる職員のお兄さんお姉さんがよく子どもたちに声をかけてくれるとか、いつも綺麗にしてあって安心して子どもを遊ばせられるとか、とにかくいろいろと子どもが小さいころにはありがたくお世話になった。
いつ行ってもけっこう人がいて、しばらく行かずにいると新しいフィーチャーがあったりして、何度行ってもそこそこ面白いので、ときどき思い出したように「しましまタウン行こう!」と子どもに言われたなあ。
個人的にはとても好きな施設で、12月生まれの下の娘が誕生日で行きたいといって先々月も行ったばかりだったのだけど、突然の閉店。名古屋のしましまタウンは星ケ丘三越の中にあり、車でも電車でも行きやすくてよかったんだけどなあ。残念だなぁ……とはいえ、うちはどちみち年齢的にもうすぐ卒業になってしまうところだったけれど。

*1:小学生以上は入場料が大人と同額なのです。もちろん大人のほうが安い。

さよならミノムシ

ここのところずっと、ミノムシを見なくなったなぁと思っていた。
自分の小さいころはとにかく冬になると庭木という庭木にぶら下がっていて、子どもとしては愛嬌のある格好がかわいくて、しかも刺したり動いたりしないから決して嫌いじゃなかったんだけど、木をあらす害虫だってことで、冬になって葉が落ち枝があらわになると、父は一つ一つミノムシを指でとっては踏みつぶして駆除していた。
ミノムシを捕まえてきてミノをはがし、細かく刻んだ折り紙の中に入れると、折り紙できれいなミノを作るよ、なんて実験もよく見たなぁ。学研の科学あたりとか。そういえば、とってきたミノムシのミノをはがしてつなげてバッグにする、とか、とんでもないオカンアートもあったような。祖母が紙箱にミノムシをたくさんとってきて、一つずつハサミで切ってミノを集めていたことを思い出す。あれは結局作品になったんだろうか。
しかし、近年はすっかり見かけなくなった。忙しくしてると気がつかなかったけど、子どもに「ミノムシってどんなの?」と聞かれて、ああそういえば、と思ってどこかで見せてやろうと思ったら、これがなかなかいない。公園にも家の近くの植木にも。野生のカブトムシやクワガタ、ガやらカマキリやらカミキリムシやらバッタやら、その他の虫ならけっこういる地域なのに。
街路樹に農薬まいたりしてのことかな、と思っていたら、外来寄生虫のためにミノムシが地域によっては絶滅危惧されるような状況になっているんだそうな。ということを、今朝、日経新聞を読んで知った。主なミノムシはオオミノガの幼虫なのだが、オオミノガヤドリバエという虫がこれに卵を産みつけて食ってしまうのだそうな。オオミノガヤドリバエは1990年代に日本に入ってきたらしいので、おおむね平成になってから、という感じだろう。特に西日本ではミノムシの個体数減少が激しく、ほとんど見られなくなってしまった地域が多いとか。
ミノムシ自身害虫なので、積極的に保護しようということはないだろうが、種の多様性保存やミノムシによる被害が大したことない*1のを考えると、積極的に絶滅に追い込もうというものでもないような。
いろいろネットで検索して読んでみると、オオミノガがしぶとく残っている地域もあるし、チャミノガという、ミノムシになる別の種は寄生されないそうだから、完全にミノムシが見られなくなるということはなさそうだが、見つけたら「わっ、みーつけた!」というくらいには珍しいものになってしまうのかな。てか、もうなってるわ。


昨夏、幼稚園の植え込みをたまたま覗き込んだら、小さなミノムシがぶらさがっていた。夏だからもう中身は空だっただろう。下の娘に教えてやったら、すごく喜んで、その後数ヶ月、毎週*2お迎えでその前に通るたびに覗きに行っていた。
なんとなく、ミノムシって子どもの気持ちをそそるんだねぇ。私もそうだった。
そういえば、ポケモンにも、ミノマダムガーメイルという、ミノムシをモチーフにしたポケモンがいるな。何年後かの子どもたちにとっちゃ、なにこの虫?になるのかなあ。

*1:昔はあれだけ庭にミノムシがいても、そうそう庭木がやられてたことはなかったのです。たちの悪いのは他にいる。

*2:毎日じゃないのは、毎週1回だけ、都合でバス降園でなく園へお迎えにいき、その時しか二人で植え込みのところを通らないから。

一度やろうと思い立ったがまだ勇気がなくてやれずにいること

一度やろうと思い立ったがまだ勇気がなくてやれずにいること。


家族で外食に行って、席がいっぱいで待ちがあるとき、ウェイティングの「○○様 △名」と書き込むところに「ゴンザレス」と書くこと。
「4名でお待ちのゴンザレス様〜」と呼ばれるのが夢だが、まだやれていない。